相談できる仲間を多く作る3つの方法
人間関係ネタも書きます。マンボウです。
よく交友関係が広いなっていろんな人から言われます。
本人は至って普通に過ごしていて、自分から話しかけるのも苦手だったりするので、話しかけてもらうのを待つというのがデフォなのです。
特に大人数になればなるほど、苦手だったりします。
けど、確かに週末遊んでくれる友達は多いし、相談したりできる人は多いなと自分ながら思います。
もちろん、運とかもあるんですが、なんだかんだ大切にしていることが3つあります。
①一つ前に所属していたコミュニティ、もしくは仲良かった人を大切にする。
というのも今利害関係や近い人とはほどほどの距離感を持って接するということですね。
言ってみれば直接の関係のない人たちなので、一番相談しやすかったりするんですね。
②さびしそうなとき、孤独な時、しんどい時にこそ恩を売る。
人間、誰しもしんどい時だったり、少し寂しい時あります。
よくマンボウはそんな立場の人をできるだけサポートしたいなと思います。
(別にいい人ぶっているわけではなく、辛い時に助けてくれる人ってやっぱりありがたいので、あとでめちゃめちゃみんな仲良くしてくれる。そして、マンボウも主流派に属するのが得意じゃないので、助けてもらった人に助けてもらうためです。)
そうしていくと、ちゃんと人間関係ができて、友達ができていきます。
案外美人の友達とかそんな感じで仲良くなればいいと思うぜ。
(これについてもまた書こう。)
③一対一の時の会話を大切にする。
みんなでワイワイするのも好きなんですが、大人数ってちゃんといろんなその人のことってすごく話しにくくないですか???
なので、少人数でちゃんといろんな話を聞きたいなって常に思っています。
そこで、話している人の知らない意外な一面だったり、そこからお仕事につながったり。
いやーけど、会社での振る舞いとかに全然役に立たないのよな!!笑
全く飲み会とかで気を使えるスキルとかまじで欲しい
以上本日のマンボウでした。
自分の居場所を作るために
こんばんは、マンボウです。
今新入社員として、頑張って居場所を掴もうとしているところなのですが、なかなか今試行錯誤してやっているところです。
職場はかなり仲の良い雰囲気の場所なのですが、年齢層が高めなのと、管理職が多い(ほとんど若手がいない)職場なので、結構新入りとしては、入りにくいといいますか、ちゃんとある程度信頼されて仲間に入れてもらうためには、ちゃんとコミュニケーションを取っていかないと行けないというのがなかなか難しいです。
けど、今少しずつ調子が出てきていて、自分の中で意識を変えたことで、ちょっとずついい方向に向いてきたので、自分への備忘録も込めて書いていきたいと思います。
基本的には、4つの方向性の言葉を話すだけです!
個人的にかなり人見知りなのですが、これを言っていくことで少しずつコミュニケーションを積み重ねて行こうと思うことで、やっています。
別にこの4つの通りに心から思っている必要はないと思うんですけど、小さなことをこの4つの方向から見ることで周りと話すきっかけを作ろうという感じです。したたか、かつ自分を守るためのものです笑
社会人としては当たり前だと思うんですけど、ちゃんと言語化してくれているのはないんじゃないかなと思って。
①感謝を伝える。
少しでも指摘をしてもらった、教えてもらった、時間をとってもらった、返してもらうべきメールに返してもらった時にリアルで直接「ありがとうございます」って言うイメージです。
②よろしくお願いします。って言う。
もちろん何かを頼む時、少しお時間をいただく時、何かを始める時、何かを締める時。最初に挨拶する時。
いろんな場面でいう。
③教えていただけないでしょうか。
わからないことだらけなので、とりあえず、聞く。
下手(したて)に出て、吸収できるものはなんでも吸収するのと、自分の仕事のことを話したり、興味をもらって悪い気のする人はいない。
そうやって自然に頼っていけるようになりたいな。
④すみませんでした。
少しでも何か迷惑をかけてしまった時、時間を使ってしまった時、リソースを使ってしまった時、悪いと思った時には、すぐに謝る。そうやって自分の身を守る。
世の中には、真心を込めて、みたいなことを言われることがあるけど、基本的にマンボウは全部真正面から受け止めてしまいがちだから、内面ではスルーしつつ、外側でこうして行こうと考えてます!
今日は終わり!
有酸素運動することで鬱が晴れる
こんばんは、マンボウです。
最近、マンボウは夜30分走ることにしました。
今日も走ってきたんですけど、すごく頭がスッキリします。
村上春樹がエッセイの中で言っていたんですけど、「走ることは動く禅だ」って本当に自分の体と真っ白の頭、そして息が上がるので呼吸を深くするので、精神的には落ち着きます。
もしあんまり走れない人は歩くだけでもいいですし、何かを歩いている時に考えちゃう人は自分ができる限りのスピードで歩くもしくは走るってことをすることで頭を真っ白にするのがすごく心地よかったりします。
なんでいきなり走り出したのかというと、会社での人間関係になかなか馴染めず、常に色々なものに気を使わないと行けない部署なので、結構ストレスが溜まってきてちょっと思わず色々溢れそうになったからです。
なんだかんだ部署からのプレッシャーもあるし、自分で勝手にプレッシャーをかけているところもあって、なかなか結構苦しい。
そんな時に思ったのは、浪人中のこと。
浪人中、京大を受けるって言ってしまって高校を辞めていたのにもかかわらず、8月ぐらいまでなかなか成績が上がらなくて苦しかったことを思い出しました。
その時の自分の救いになっていたのが、ジムで思いっきり、体を動かしてる時でした。なんならそれをめがけて全部の予定を組んでいました。
そんなマンボウがジムで何をしていたのかというと、エアロビクスをやっていました。音楽に合わせて、無心に踊るというのが頭を真っ白にするという意味でよかったのかもしれません。
(エアロビクスに行こうと思ったのは、京大受験する時に浪人が決まってまずyahoo知恵袋からもらった一番最初の答えだったからです笑
またエアロビクスの魅力についてはまた記事で書きます。)
結構これは世の中で知られているのか、わからないのですが、こんな本もあるそうで
www.amazon.co.jp
体を動かすことで、神経にいい影響しかないから、なんでしょうけどね。
いくらネットやらヴァーチャルワールドが発展しても、身体という入れ物から人間は抜け出せないのでしょう。
マンボウ
マンボウの自己紹介!
自己紹介:名前はマンボウ、20代の大阪の会社員。
えっ、何の資格か分からなくて胡散臭いって?
それについては、また書いていきたいと思います。
このブログについて
こんにちは、マンボウです。今年新卒の社会人になりました。このブログはとある社会人が日頃は会社員をしながら、幸せと自由を求めて生きるためにどうすればいいかを考え実行したことと結果を話すブログです。
これから先行きの見えない時代に一緒に面白く生きて行く上で必要なお金、仕事、趣味、恋愛、健康のことについて考えていきたいと思います。(なんか胡散臭くなってしまったけど)
あとふと思ったことや最近読んだ本について、メモ的な感じで書きます。
名前は昔から大好きだった生き物兼、割と海に関わることをしているからかなー。
ブログを始めたきっかけ
自分が24年間生きてきて、もっと先にみんなこんなこと教えてよ!みたいなことがたくさんあり、過去に自分がぶつかってきた壁に、将来ぶつかるであろうという人向けに書いています。
例えば、英語の勉強、受験、留学だったり、法律関係の仕事を目指して、就活して、新社会人を迎えるにあたって、誰もちゃんと教えてくれないことが多く、苦労しました。(自分の勉強不足だったりするのだけど)
そんなことをいちいち調べずとも、最初からまとめてくれたり、一歩先を行ってくれている先輩がいてもいいじゃないかと思ってブログを作りました。
というわけでこれから高校生や大学生になる方、就活を考え始めている方の参考になればいいです。
社会人の先輩方はアドバイスください!!
よろしくお願いします。
経歴
気合い入れて書きました!ぜひ読んでみてください!
マンボウ誕生
大阪の病院にて生まれる。生まれるときに母親の骨盤が狭すぎて、頭が詰まって、母子ともに生死の危機をさまよう。けど、帝王切開によって一命を取り留めました。
幼少期から小学校まで
幼少期は公立の小学校にて過ごす。勉強はそこそこできたが、音楽、体育といった副教科が苦手。勉強はそこそこできた。学校内のヒエラルキーも低く、苦しかったです。
もともと引っ込み思案な性格だったのですが、坂本龍馬の伝記を小学校4年生の時に読んで、明るく振る舞うということをやり始めてから、本ってすげえなあってなり、本を読み始めるようになりました。坂本さんマジパネエ。
今は坂本さん信者ではないんですが、間違いなく自分の人生を変えた人間の一人です。ありがとう。
本って伊達にいろんな人の経験が書かれているだけはありますよね。どのように生かすかは難しいんですけど。それからいろんな本を読み漁るようになり、ちょっとずつ本を読んで人生が良くなっていきました。
そんなかいもあって、高学年の頃には、リーダー格の男子には従い、女子勢には優等生ということでそこそこ好感度をあげ(モテるとは別!)、味方になってもらうようになりました。それからクラス内でのポジションを少しずつ上げて行った気がします。
中学受験の塾に小学五年生から行っていたのが、功を奏して勉強ができるようになり、徐々に勉強できるやつポジションを獲得。
中学校から高校まで
中学校は共学の中高一貫に行きました。理由は母親に「男子校に行くと女の子がいなくて青春なくなるぞ」と言われたからです。共学に行ったところでめっちゃ恋愛があったかと言われたら疑問ですけどね、モテるやつはどこ行ってもモテる。
だってマンボウは共学とはいえ、中学は剣道部、高校はプログラミングとか電子工作をやっていたので、周りは男子しかいねえよ!という状態でした。(うちの学校可愛い女の子多いねんけどなあ。勿体無い。)
けど、いろんな学園祭の実行委員や演劇をやったり楽しかったけどね。
高校二年生の時に留学
高校一年生の時に母親が高校の中に海外の高校との提携留学プログラムがあることを発見し、授業料、生活費が無料(その代わり交換留学生が来た時は受け入れ義務有り)で一年間イギリスのスコットランドに行ってました。
スコットランドといっても、人口6000人の海沿いの田舎町で羊とアザラシに囲まれていきていました。
その時に国際交流教育や英語教育について色々考えたり、進路を考えたり、自分の今の進路選択にいきています。
留年から退学へ
交換留学に一年間行っていたので、もともとの高校の一年下の学年に二学期から入ることに。もともとあんまり後輩たちを知らなかったので、最初は馴染めなかったですが、9月の下旬の学園祭を気に仲良くなりました。
けど、7月に帰国した時に「これは馴染めないなあ。。。」と不安になってスタートしたのが大学受験。大学受験は正規のルートであれば高校卒業しなければなりませんが、日本語が読める人なら誰でも高卒認定試験を受けて受験の時に18歳であれば受験できちゃったりするのです(法律が代わり、高校在学中でも受験ができるようになった)。
つまり、18歳であれば、高校二年生でも大学受験できるということです!つまりお試しで受験することになったんですね。
何しろ、マンボウは因数分解ができなかった(笑)のですが、留年先は伝説の学年と言われ、府内でも二番目に数学だけはできる学年だったので、このままではバカにされる!やばい!と思って青チャートを使って八月の夏休みに学園祭の準備以外はひたすら勉強していました。あと文転して、地学と日本史を一から勉強しなくてはならなくなったのが大きくて、どうせ勉強するなら目標は大きく!と思って京大向けの勉強してました。
そこで学園祭の行事とかは顔を出しつつ、暇な時間は受験勉強することで、学年で一番になったり、初めて三ヶ月ぐらいでどんどん成果が出て来たのが楽しくて仕方がなかったです。
けど1月のセンター試験の後、色々燃え尽きてしまい、二次試験が間に合わず結局落ちました。半年でセンター8割5分まで持っていたので半年の成果としては大満足なんですけどね。
しかし!ここで事件が発生します。
大学を受験するにあたって高校に相談したところ、高校在学中に受験する場合(他の学校に行く場合)、退学届を出してから受験する必要があるらしく、高校にあと一年間いるか、大学受験するかの選択を迫られました。が、高校の文系クラスが推薦入試組が多く、秋にはみんな大学が決まってしまうので、京大受験験する環境としては良くないなと思って、退学届を出して受験する道を選びました。
けど、落ちました。まあ半年で京大が無理ゲーだった。
(ここで受かっていたら格好んだけど。)
そして浪人生に
退学した後、予備校に行きました。行かせてくれた親には本当に感謝。
予備校は河合塾へ行ったのですが、幼馴染がちょうど行く同じ予備校に行くことになりました。たまたま入ったクラスが小さく、高校4年生状態で楽しく友達も増えて過ごすことができました。(最初周りが賢すぎてしんどかったです。。。何しろ大豆の最初の判定はE判定で、周りはA判定だらけだったので。)
また浪人の時の話も書いていきたいです。
大学から社会人へ
京大にはなんとかして入ったので嬉しかったんですけど、周りがかなりチャラかったり、体育会の部活に入って頑張ってたりしたのですが、GWまで往復4時間かかっていたのが災いし、新歓に乗り遅れる。
一応そんな中でもバドミントンと法律を勉強するサークルに入ったんですが、馴染めずに一年足らずで辞めることになりました。
英語をみんなでディスカッションするサークルに出会って素敵な先輩に出会い、ちょっとずつ大学生活が楽しくなりました。
ちゃんと退学事件で世の中の仕組みを勉強せねばと法律や会計、通訳ガイドについて勉強してましたし、教職もとってました。
シンガポールにも最後半年間留学もすることができ、外から見たら上出来なのですが、本人は家族からサポートを失ったり、辛いこともありました。やりきったから後悔はない。
留学時代と大学最後の年に両親からのお金が止まってお金の大切さを知りました。特に大学最後の年は母親と進路で決裂し、全くお金と食料がもらえなくなったので、就活と同時並行して、生活費を稼いでいたので、かなり生活はきつかったです。世の中にはそんな学生もいるんですけどね(でも、留学から帰ってきていきなり)。実家にはいたんですけど、母親は全くご飯をくれないので目を盗んで冷蔵庫のご飯を自分で作るかという感じでした。
そんな中、大学生活も楽しみたかったので、バイト代から海外旅行のお金も捻出して、最後の年だけでも沖縄、中国、インドネシア、イタリアに行っていました。この時の経験から自分でいろんなお金を稼ぐ方法を持っておくこと、お金のパワーってすごいと思うようになりました。やっぱり親からちゃんと独立するためには、お金、健康、人脈という身もふたもない結論に至りました。だいたい大人の関心事ってここにつきますよね。
社会人になって、自分でいろんなことに気をつけないと行けない、面倒を見ないと行けないという世界の中で一緒にこの世界を楽しむ仲間ができれば嬉しいです!
2018.7.9 マンボウ