【うちの祖父の思い出】

f:id:iammanbo:20180930221137p:plainこんにちは、マンボウです。

最近、引き寄せの法則のエクササイズをしていることもあり、祖父の話をふと思い出してしまいました。

 

このエキササイズ胡散臭そうですが、めっちゃ精神状態良くなります。

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僕はちょっと切なくて懐かしい気持ちで書きました。
なぜなら、僕のおじいちゃんはもういないんですね〜。

そして一番自分の活躍を心から喜んでくれていたのが、おじいちゃんだったことを思い出したからです。

 

ここからは自分語り形式で話そうと思います。少し酔いたくて「である」調で書きました。

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心に残ったものに、先輩が自分のおじいちゃんとおばあちゃんに活躍する姿を見せたいから少し焦っているという話があった。

僕はちょっと切なくて懐かしい気持ちで聞いていた。
なぜなら、僕のおじいちゃんはもういないから。
そして一番自分の活躍を心から喜んでくれていたのが、おじいちゃんだったことを思い出したからだ。

これは母方の祖父のことで、50歳の時に脳梗塞で倒れ、ギリギリで一命をとりとめて、30年以上それから生きたという人だったりするのだが、右半身不随になり、言語的に障害を負ったため、僕が生まれた頃には、はっきり話すことができなくなってしまっていた。(人の人生とは皮肉なものだと思うのは、この時祖父をお見舞いに来てくれた人がほとんど祖父より早く亡くなってしまっていることである。)

なので、ちゃんとした話を聞いたことがないし、運動をしたこともなければ、勉強を教わったこともない。けど、とても穏やかで僕の勉強をしている様子を見ててくれたり、活躍した様子を残しておいてくれたり、僕が小学生の時に近所で魚釣りをしている様子を眺めてたり、一緒に朝の五時から散歩したり(ちなみに、祖父は30年間以上、亡くなった日まで毎朝散歩とリハビリをしていた。)、いろいろ思い出がある。

そして、何か僕が活躍したことを言ったりすると、”ごっついなあ~”というのである。(基本的に単語しか話せない。けど、”うまい”、とか”おもろい”とか、”こら”とかは言える。)

祖父はご飯の代わりに、番茶で炊いたおかゆが大好きで、おかずはサンマの開き、おでんが大好きでいつもそのことに祖母は文句を言っていた。祖母はおしゃべりで一方的に祖父に話していた。そして昔から祖父と同じものを食べていたおかげで、祖父が好きなものは、僕の大好物にもなっている。
そんなおしゃべりな祖母はなんだかんだ祖父のことが大好きだ。いつも祖父がいかに苦労人だったかを台所で語り続ける。昔の人なので、愛しているとかは言わないが、なんだかんだ大好きだったのだろう。

結局祖父は僕が大学三回生の時の年末に亡くなってしまうのだが、夜に寝てる時に心臓が止まって、お医者さんによると、多分本人も気づいていないうちに旅立ってしまったのだろうと。すごく穏やかに寝ていて、最後に残された骨はびっくりするぐらいに丈夫で、無理やり折らないといけなかったぐらいだ。
その年は家族にとって喪中になるわけだが、祖父は前日まで年賀状を書いていたので、祖父からはちゃんと例年通り慣れない左利きでメッセージが書かれてあった。

いきなり突然の別れで(何しろ寝る前まで普通に元気だった)ので、戸惑った。けど、とても幸せな亡くなり方だったのと思う。何しろ多分本人も死んだことに気がつかなかったみたいで。多分苦労人だった祖父への神様からのプレゼントな気もする。

メッセージには「自分を信じて頑張れ」と書かれてあった。
すごくシンプルだけど、慣れない左手で書いてあった。

ぶっちゃけ、心に従い始めたら人生ハードモードになった気がするけど、得ているものもその分多い。仕方ないけど、このハードモードになったこの人生を愛するとしよう。祖父の時とはだいぶ世界は異なっているけど。

 

気づけばいろいろ語ってしまいました。
というわけで、みなさま台風にはお気をつけて。